80年代校内暴力〈沈静化〉の側面

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80年代初頭に連鎖した全国的な校内暴力が、沈静化へ向かう過程においては、様々な機関によって研究がなされているようである。
以前私は本ブログ上で、「若者文化の変化によってヤンキーが激減し沈静化された」と書いた。
その考えの根拠については以下の通りである。
 

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【1】 1964年〜1968年生まれ

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爆発的に起こった80年代校内暴力のピークは、1980年〜1981年である。
当時、実際に暴力を起こしていた中学生に該当するのが、1964年〜1968年生まれである。
(2010年現在42歳〜46歳)
勿論、実際に暴力を起こしていたのは、この中の極一部である事はいうまでもないし、地域によっては、当時の中学の中でも、全く暴力が起こらなかった学校も少なくはない。

だが、事実として1980年〜1981年は中学生達によって多くの学校が破壊され、前代未聞の社会問題となった。

そんな1964年〜1968年生まれは、その前後の世代に対しても、ある程度大きな影響力を持っていたと推測される。
その世代の中でも、主に男子を基準に、彼らが傾倒した文化を紐解いてみよう。

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【2】1980年〜1981年

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■ヘアスタイル、ファッション

70年代ディスコブームから派生する、ソウルミュージック人気などの黒人崇拝は、アフロヘアーやニグロ、パンチといったヘアスタイルを流行させる。
黒人ソウルミュージシャンの様なタイトなスーツを着て、シャツの襟を出し、パンチパーマをかける、というのがステイタスでもあった。
そんな不良で遊び人な70年代の大人達のファッションを真似るヤンキー中学生が増えた。
当時の彼らにとって、それは紛れも無くハイファッションであった。

一方、当時のヤンキーのカリスマは矢沢永吉であり、ヤンキーの部屋には高確率で矢沢のポスターが貼られてあった。
矢沢とくれば、「キャロル」や「クールス」へも傾倒し、当然のように、革ジャンにリーゼントが流行する。
更にヤンキースタイルは、フロントアフロにサイドリーゼントといった、混合的スタイルも派生させる。(例えば横浜銀蝿のようなヘアスタイル)

リーゼントといえばロックンロールであり、ロカビリーであると言わんばかりにロカビリーファッションも注目され、「CREAM SODA」といったブランドに脚光があたる。
ヒョウ柄の財布やコーム、”チョンバッグ”(変形学生鞄)に貼る為のステッカー等が、中学生間で大流行した。
だが、その流れが小学生にまで波及すると、「小学生の文房具」と呼ばれ、中学生の間では格下げされて流行が終わる。
(ただその後もロカビリーブーム自体が廃れる事はなく、原宿などでラジカセで踊る「ロックンロール族」(ローラー)へ発展し、「竹の子族」や暴走族と対立する事もあった)

総括的に、当時の中学生のファッションは、反抗精神が反映されていたといえる。
ヤンキーは同学年の女子にもモテたが、それは、単なる一過性の流行に過ぎなかった。
しかし、そんな彼らに対して過剰反応した大人達は、彼らのことを「ゴミ」扱いした。
同時に彼らも、ぐうたらな大人たちを「生ゴミ」と呼んだ。

■ゲームセンター
 
 インベーダーブームでゲームセンターが増え、彼らの溜まり場となり、ゲーム代欲しさの窃盗なども多発した。

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【3】1982年〜1984年

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■1981年当時の、校内暴力が多発していた問題学校を構成する中学生を、3つにカテゴライズすると以下の通りに分類できる。

・真面目な進学組(優等生)

・一般中学生(暴力などは行わないが、当時流行のヤンキースタイルをある程度自分の中にも取り入れ、ヤンキーを支持し、応援もする多数派。または傍観者。)

・ヤンキー(実際に暴力行為を行い、暴力団とも関係を持っていたコアな実行犯たち)

■中学を卒業した彼らのその後

・真面目な進学組は、そのまま進学校へ進み、ヤンキーの脅威から脱出し、勉学に励んだ。

・一般中学生は普通校へ進学した。
 ウォークマンが流行し、レンタルレコード店が普及し、MTVやFMラジオなどの影響から、洋楽や邦楽など、音楽が彼らの話題の中心となった。
 同時にパンクやヘヴィメタル等、幅広いジャンルで高校生バンドが激増した。
 (後の「80年代バンドブーム」へと繋がる)
 不良の格好良さとロックは繋がり易いが、彼らにとって横浜銀蝿は既に時代遅れだった。
 結果的に、彼らはヤンキーと決別する。

・ヤンキーの多くは、はじめから進学拒否するか、進学したとしても高校を自主退学するか、あるいは問題を起こして退学処分となった。
 彼らは手に職をつけるか、そのまま暴力団や暴走族に入る以外、道は無かった。
 手に職をつけて就職できれば、更正する機会もあるのだろうが、ヤクザや暴走族になった者たちは、常に身の危険に曝された。

始めのうちは不良中学生に親身だった暴力団も、結局は彼らを利用し尽くす。
ステッカーや偽物のブランド品を高額で売らせ、期日までに売上金が回収できなければ、彼らを袋叩きにする。
敵対する組織との抗争の最前線に置かれ、いわゆる”鉄砲玉”にされ、事実として、多くの10代が行方不明になり、死亡した。
シンナー中毒で死ぬ者もいれば、バイクで事故を起こして死ぬ者も多かった。
そんな事件はあまりに多く、新聞にすら載らなくなった。

犯罪を犯して警察に逮捕された場合も、当時の警察は、当然のように彼らを袋叩きにした。
その後、少年院に移送されれば、そこでも彼らは毎日袋叩きにされた。

そんな危険過ぎる日常に、10代のヤンキーは戦意を喪失し、疲れ果てていた。
そんなヤクザから足を洗う為に、指を詰められた者もいた。

ヤンキーになってもロクな事はない、という結論が後輩たちにも波及し、ヤンキーは激減しだした。

■バイク

ヤンキー激減の背景には、バイク文化の多様化も一つとして考えられる。
16歳から17歳の彼らにとって、バイクは憧れのオモチャであったが、当時人気のバイクは「Kawasaki FX400」や「YAMAHA RZ」等といった、暴走族へ直結するようなバイクであり、堂々とバイクに乗る為には、暴走族に入ることを余儀なくされた。
ところが、漫画「バリバリ伝説」人気の影響もあり、皮ツナギを着て峠を攻めるという、暴走族とは程遠いライダーズスタイルが新たなステイタスとなった。
バイクメーカーは挙って、レーシーなフルカウル仕様のバイクを生産し始めた。
10代のライダーは暴走族に入らなくても、堂々とバイクに乗れるようになった。

■ファッション

ヤンキーが激減し、高校生の間でも「POPEYE」や「Hot-Dog PRESS」といった雑誌が、10代のバイブルとなり、DCブランド崇拝が起こり始めた。
先輩たちの後ろ盾を失い、ヤンキー自体の数も激減し、校内暴力は沈静化へと向かうのだが、教育者達はここぞとばかりに、再び生徒たちを暴力的に管理するようになった。
その結果、教師による生徒への暴力事件が激増した。
(結局、教育機関が当時の10代の本質を捉える事は無かった)

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【4】1985年

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■ファッション

1985年、DCブランドの一大ブームが沸き起こる。
「青山ベルコモンズ」「ラフォーレ原宿」等のファッションビルに多くの男達が詰めかけた。
「男達がオシャレになった!」といわれ、新宿には「OIOI(マルイ)メンズ館」まで登場した。
バーゲン時には長蛇の行列に押しつぶされて、死者まで出るほどだった。
そしてこの一大ブームは、ヤンキーを完全に時代遅れに追い込むには充分だった。

高い服を着て高級外車に乗ることがステイタスとなり、その為には高学歴が必須である、との見方に10代の考えはシフトされた。
(そして翌年、バブル景気をむかえる)

1985年、深刻な社会問題である校内暴力は、沈静化された、と発表された。

2 Replies to “80年代校内暴力〈沈静化〉の側面”

  1. 今は校内暴力って時代のような、力にものをいわせた暴力はないかもしれないけど、でも心がすさんでる若者はいまだに多い気がします。
    ちょっぴりピーターパンシンドロームだった私は、子供が悪くなるのは大人のせいって思ってたけど、いざ親になるとどう育てたらあんなになるの!?と不安ばかりです。。。

  2. 80年代校内暴力の側面

    80年代初めに多発した校内暴力の要因の一つに 「徹底された管理教育」があると考えられる。 校内暴力は、児童・生徒の人権が無視された、 威圧的(暴力的)教育姿勢に反発して全国的に連鎖したのだ。 管理教育の背景には、高度経済成長期の 「理想的な労働者を作り出し団結力を高め、生産性を上げる」という政策も影響し、 そうした管理教育方針のもとに職権乱用して、行き過ぎる体罰を行った多くの教師達にも 問題があったのではないだろうか。 当時そうした威圧的(暴力的)教師が多かった原因としては、彼らもまた、 そういった管理教育のもとに指導されてきた(虐待を受けた者、或いは目撃した者は 虐待を行うという”暴力の連鎖”)という構図も考えられる。 教師と生徒の間に、 刑務所の刑務官と受刑者との間に起こるような人間関係が生まれ、 エスカレートしていったのかも知れない。 学校は刑務所と化し、教師たちは刑務官にでもなったかのように、 生徒たちを支配的に管理するようになったのだ。 当時、竹刀を手にした教師の姿は珍しくなく、そういった教師による、 生徒への威圧や体罰、或いは言葉による屈辱的な暴力(酷い場合は苛め)は 日常の出来事であり、行き過ぎた管理教育が生んだ「歪んだ一面」であった。 教育の場に教師たちが竹刀などを持ち込んだ結果、 生徒達に潜在的に「暴力」を植え付けた。 (竹刀などの”武器”は暴力の象徴、暴力の直感的記号となりうる) 傷つけられた生徒から見ると、教師達は憎むべき”敵”となったのである。 何か問題が起きたとき、学校側はよく「生徒の家庭環境に問題があった」と回答する。 確かに子育てを放棄した親、或いは子供に無関心な親(特に父親)が居ることも事実であり、 傷ついた生徒の心は家庭ではケアされる事がなく、同年代の友人間でのみ解消され、 ますます親と子供の距離が離れる、といったケースは珍しくない。 だがその前に、学校で起こった出来事によって生徒の心が傷つけられる場合が多く、 「教師の体罰によって傷つけられた」という事実が存在するという事であり、 そういった事実は当然のように学校側によって揉み消されたのである。 やがて生徒達は社会を敵に回し、組織化され、互いの非行の度合いを競い合った。 そこへ暴力団が介入して、暴走族はますます巨大化していった。 運転免許を持たない中学生ですら”歩く暴走族”となって凶悪化していっ…

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