LOLITA

※ちなみに私はロリコンではありません

 

20代の頃に観たときは主人公が滑稽で愚かな中年男という印象だけが強かった映画だが、今回久々に観てかなり違った印象を得た。

原作のロリータをそのまま娯楽映画に転換する際の倫理的問題を度外視したとしても、キューブリックにとって少女の年齢や性描写は大して重要ではなかったのだと思える。
寧ろ性描写を排除することで、より心の問題に接近することが出来る。
キューブリックが表現したかったのは「偏愛」ではなく、「恋」という幻想の正体だったのではないだろうか。
「恋」とは瞬間的な幻想であり、決して手に入らない非現実的で実態のないもの。

男性が女性との関わりで得る生得的な性欲と「恋」という心の現象は別ものだ。
恋をした男性の実像はそんなにスマートなものではない。
恋の幻想にとらわれたときから思い込みや執着が始まる。
恋の幻想はどのような瞬間に得られるのだろうか。
例えば、片思いのクラスメートを遠くから眺めているだけでは得られない。
好きな女に対してストーカー行為を繰り返したところで得られるものでもない。
(ストーキングの経験は無いので憶測だが)

とてつもなく美しく、手に入れようとすれば自らが崩壊してしまいかねない危険な幻想が恋の正体であり、そのような恋の幻想の正体を見事に一曲の音楽で表現しきったのがキューブリックの「ロリータ」なのではないかと思う。

ロリータ [Blu-ray]

ロリータ [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • メディア: Blu-ray

2013-03-15

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キャンバス/アクリル(27cm×35cm) ルパン三世(TV第1シリーズ)第5話「十三代五ヱ門登場」より作製


※上の作品は個人的研究の為に作製したものであり、販売目的で作製したものではありません。

リプルション ~反撥~

反撥と峰不二子

今から5年前に、雑誌『GQ』1995年8月号155頁をもとに、ロマン・ポランスキー監督映画『反撥』のカトリーヌ・ドヌーブをキャンバスに描いた。
154〜155頁にかけてロマン・ポランスキー映画における”密室”について書かれた記事なのだが、大して記事の内容も読まず、縦4cm×横7cmの小さな写真に目が釘付けになり、拡大してみたくなったのだ。
それだけの動機である。実は映画も観たことが無かった。
写真が小さいので、そこがどの様な空間なのかも想像し辛く、どのような状況で彼女が受話器を握っているのか、電話の相手が誰なのかも分からない。
何も分からないから、分からないうちに描いてしまいたかったのだ。

そして5年経った昨日の朝、初めて『反撥』を観ることができた。
想像していたよりも広いアパートだった。
乾涸びた芋のような自分にとっては、あの精神崩壊は一服の清涼剤のようでもあった。
だが自分は、超えられない女性性を前にして傍観者以上にはなれない。

話しは変わるが最近、『ルパン三世(TV第1シリーズ)』所謂「旧ルパン」、あるいは「ファースト・ルパン」、または「緑ジャケット」を観た。
1971年10月24日放映開始から40年ということで、千葉では「ルパン三世展」も行われている。
むかしからルパンは緑ジャケットのTV第1シリーズが一番好きだ(というか他はほとんど見てない)。
『ルパン三世(TV第1シリーズ)』の峰不二子をキャラクターデザインする段階で、『反撥』のカトリーヌ・ドヌーブをモデルにしたのではないだろうかと勝手に想像してみたりもする。
そうすると第9話「殺し屋はブルースを歌う」でトライアンフを運転する不二子と、『反撥』の中でトライアンフの助手席に座るキャロル(カトリーヌ・ドヌーブ)が重なる。

密室の中で崩壊していったキャロルが峰不二子として生まれ変わり、男を手玉に取り、車や飛行機を乗り回し世界中を飛び回る。

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キャンバス/アクリル(32cm×41cm)

 

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キャンバス/アクリル(26cm×37cm) 第4話「脱獄のチャンスは一度」より作製