disappearing moment #46

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今更いうまでもないことかもしれないが、

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マネの功績は、タブローと鑑賞者の関係性においての「移動の自由」というよりも、

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鑑賞者自身の視覚に浮かび上がる「表象の自由」を可能にしたことにある。
(それが、タブローの内側と外側に関わらず)

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それ以降、鑑賞者は必然的に「見ること」に各々の責任を担うことになった。
自由を勝ち取ったエジプト国民ひとり一人に生まれた新たな責任のように。

11 February/2011

2011-02-14

今日はバレンタインデーとのことです。

最後にチョコ貰ったのは何年前だっけか…。うん? 十何年前だっけ? 忘れました(笑)

…確か最後に貰ったときも、
「うちのダンナが外科医なんだけど、今年も看護婦さんからいっぱいチョコもらってきて、うちだけじゃ食べきれないから、よかったら貰ってくれない?」
との自慢付きで2月15日に貰ったんだっけか…。

ん?
そんな私の歴史はご興味ありませんか? …そうですか。
すみません。すみません(笑)

それはそうと、今日、また新しい絵を描き始めました。
「チマチマ絵を描くなんて、アホのすることだ!」と思いつつ、チマチマ描きはじめました。
できる限り無作為に描くつもりだったのですが、かなり前に録画してあったドラマのキスシーンを何度も繰り返し観てしまったせいでしょうか。
やっぱり描いてしまいました。
描写を拒絶しようとすると描きたい欲望にかられたり、完全に無作為に創り始めると意図に反して描写されてしまったりします。
これを「絵描きのパラドックス」と勝手にいってます。

気軽に描き始めたのはいいけれど、これ完成までに何ヶ月かかるんだろうか…
ちょっと気が遠くなりました(笑)

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ⓒ2011 Hikaru
アクリル/木製パネル(53cm×72.5cm)

2011-02-07

本日は私の誕生日なのですが、
それはさておき、
自分の過去の作品を引っ張りだして改めて見てみたのですが、
その中の、5年前に描いた描きかけの絵が少し気になって、修正してみました。

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修正後P1070678.jpg

ⓒ2011 Hikaru

まだ完成と呼べるようなクオリティにはほど遠いのですが、
ここ2、3日気分がとてもいいので、載せてみました。

2011-02-04

この4年間、表象不能イメージの代替的な可視化を模索していた。
どうすれば「その次元」に接近出来るのか探求し、「どうやって描くのか」という問題が常に重要だった。

既に絵画が「時代遅れ」といわれてから何十年と経とうとしている現代、絵画という表現方法で作品を提示する者は殆ど居なくなりつつある。
私は絶望を味わい、キャンバスに向かう事さえナンセンスに思えた。

それでも今年に入って、またキャンバスと向き合っている。
試行錯誤を繰り返してきたささやかな技法を用いた、何処にも着地点のない、いつもどうりの絵画という草臥れた物質。
(その草臥れた物質は、いつも私の心を癒してくれる)

私にとって「作品の強さ」とは、大きさや手法に依存しなく、「今この瞬間において開かれたイメージ」を体現していること。
(イメージを解放していくには「強さ」が必要だが、「強さ」が作品の目的になってはいけない)

「芸術は希望の最高の形式である」とはゲルハルト・リヒターの言葉だったろうか。

絶望は人を間違った方向へ陥れがちだが、焦ることはない。
時間はいつもゆっくりと進んでいる。