戦場でワルツを

レンタルDVDを借りてきた。
『イングロリアス・バスターズ』と『戦場でワルツを』の2本。
先に『戦場でワルツを』を観てしまったのだが、『イングロリアス・バスターズ』から先に観るべきだった。
(まだ『イングロリアス・バスターズ』は観ていない)
————————————————————————————–
『戦場でワルツを』はイスラエルのアニメーション映画で、アリ・フォルマンが監督と脚本を手がけている。
イスラエル国防軍の歩兵だったアリ・フォルマン自身による、1982年レバノン戦争の記憶を紐解いたドキュメンタリー作品。

リンクレイター監督作品『Waking Life』のようなロトスコープを思わせるが、(ロトスコープとは、実写映像をトレースしたアニメーション)
本作はFlashアニメーションや3Dグラフィックスなどで完成された作品であるとのこと。

夢と現実が交錯するような超現実的映像と、効果的に挿入される音楽が印象的だ。

数々の映画賞を受賞し、総じて評価の高い作品ではあるが、パレスチナ人暗殺やアパルトヘイト・ウォールなど、
イスラエル政府に対する国際的な非難が高まる昨今において、戦争描写があまりにも軽々しく、美的ですらあり、「プロパガンダ」との批判もある。

私自身、観ていて複雑な心境になった。
まるで、穏やかな日曜の午後に、オープンカフェでお茶しながら戦争見物してるかの様な、ある種のノスタルジーと心地良さを味わい、そんな自分とそうさせる本作に嫌悪感すら覚えた。

だが、ラストまで観終えた今、イスラエル国防軍の元歩兵による作品という事実の重みを感じ、彼の努力を讃えたい。

さてと、『イングロリアス・バスターズ』を観るか…
それとも今回は見送り、日をあけてから改めて観ようか….

戦場でワルツを 完全版 [DVD]

戦場でワルツを 完全版 [DVD]

  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • メディア: DVD

disappearing moment #45

160315.jpg


16:03:05


昨日と今日は違う。

163700.jpg


16:37:00


今日と明日も違うだろう。

163756.jpg


16:37:56


そのことを喜ぶべきだろう。

16 May/2010

80年代校内暴力〈沈静化〉の側面

80年代初頭に連鎖した全国的な校内暴力が、沈静化へ向かう過程においては、様々な機関によって研究がなされているようである。
以前私は本ブログ上で、「若者文化の変化によってヤンキーが激減し沈静化された」と書いた。
その考えの根拠については以下の通りである。
 

*****************************************************************************************

【1】 1964年〜1968年生まれ

*****************************************************************************************

爆発的に起こった80年代校内暴力のピークは、1980年〜1981年である。
当時、実際に暴力を起こしていた中学生に該当するのが、1964年〜1968年生まれである。
(2010年現在42歳〜46歳)
勿論、実際に暴力を起こしていたのは、この中の極一部である事はいうまでもないし、地域によっては、当時の中学の中でも、全く暴力が起こらなかった学校も少なくはない。

だが、事実として1980年〜1981年は中学生達によって多くの学校が破壊され、前代未聞の社会問題となった。

そんな1964年〜1968年生まれは、その前後の世代に対しても、ある程度大きな影響力を持っていたと推測される。
その世代の中でも、主に男子を基準に、彼らが傾倒した文化を紐解いてみよう。

*****************************************************************************************

【2】1980年〜1981年

*****************************************************************************************

■ヘアスタイル、ファッション

70年代ディスコブームから派生する、ソウルミュージック人気などの黒人崇拝は、アフロヘアーやニグロ、パンチといったヘアスタイルを流行させる。
黒人ソウルミュージシャンの様なタイトなスーツを着て、シャツの襟を出し、パンチパーマをかける、というのがステイタスでもあった。
そんな不良で遊び人な70年代の大人達のファッションを真似るヤンキー中学生が増えた。
当時の彼らにとって、それは紛れも無くハイファッションであった。

一方、当時のヤンキーのカリスマは矢沢永吉であり、ヤンキーの部屋には高確率で矢沢のポスターが貼られてあった。
矢沢とくれば、「キャロル」や「クールス」へも傾倒し、当然のように、革ジャンにリーゼントが流行する。
更にヤンキースタイルは、フロントアフロにサイドリーゼントといった、混合的スタイルも派生させる。(例えば横浜銀蝿のようなヘアスタイル)

リーゼントといえばロックンロールであり、ロカビリーであると言わんばかりにロカビリーファッションも注目され、「CREAM SODA」といったブランドに脚光があたる。
ヒョウ柄の財布やコーム、”チョンバッグ”(変形学生鞄)に貼る為のステッカー等が、中学生間で大流行した。
だが、その流れが小学生にまで波及すると、「小学生の文房具」と呼ばれ、中学生の間では格下げされて流行が終わる。
(ただその後もロカビリーブーム自体が廃れる事はなく、原宿などでラジカセで踊る「ロックンロール族」(ローラー)へ発展し、「竹の子族」や暴走族と対立する事もあった)

総括的に、当時の中学生のファッションは、反抗精神が反映されていたといえる。
ヤンキーは同学年の女子にもモテたが、それは、単なる一過性の流行に過ぎなかった。
しかし、そんな彼らに対して過剰反応した大人達は、彼らのことを「ゴミ」扱いした。
同時に彼らも、ぐうたらな大人たちを「生ゴミ」と呼んだ。

■ゲームセンター
 
 インベーダーブームでゲームセンターが増え、彼らの溜まり場となり、ゲーム代欲しさの窃盗なども多発した。

*****************************************************************************************

【3】1982年〜1984年

*****************************************************************************************

■1981年当時の、校内暴力が多発していた問題学校を構成する中学生を、3つにカテゴライズすると以下の通りに分類できる。

・真面目な進学組(優等生)

・一般中学生(暴力などは行わないが、当時流行のヤンキースタイルをある程度自分の中にも取り入れ、ヤンキーを支持し、応援もする多数派。または傍観者。)

・ヤンキー(実際に暴力行為を行い、暴力団とも関係を持っていたコアな実行犯たち)

■中学を卒業した彼らのその後

・真面目な進学組は、そのまま進学校へ進み、ヤンキーの脅威から脱出し、勉学に励んだ。

・一般中学生は普通校へ進学した。
 ウォークマンが流行し、レンタルレコード店が普及し、MTVやFMラジオなどの影響から、洋楽や邦楽など、音楽が彼らの話題の中心となった。
 同時にパンクやヘヴィメタル等、幅広いジャンルで高校生バンドが激増した。
 (後の「80年代バンドブーム」へと繋がる)
 不良の格好良さとロックは繋がり易いが、彼らにとって横浜銀蝿は既に時代遅れだった。
 結果的に、彼らはヤンキーと決別する。

・ヤンキーの多くは、はじめから進学拒否するか、進学したとしても高校を自主退学するか、あるいは問題を起こして退学処分となった。
 彼らは手に職をつけるか、そのまま暴力団や暴走族に入る以外、道は無かった。
 手に職をつけて就職できれば、更正する機会もあるのだろうが、ヤクザや暴走族になった者たちは、常に身の危険に曝された。

始めのうちは不良中学生に親身だった暴力団も、結局は彼らを利用し尽くす。
ステッカーや偽物のブランド品を高額で売らせ、期日までに売上金が回収できなければ、彼らを袋叩きにする。
敵対する組織との抗争の最前線に置かれ、いわゆる”鉄砲玉”にされ、事実として、多くの10代が行方不明になり、死亡した。
シンナー中毒で死ぬ者もいれば、バイクで事故を起こして死ぬ者も多かった。
そんな事件はあまりに多く、新聞にすら載らなくなった。

犯罪を犯して警察に逮捕された場合も、当時の警察は、当然のように彼らを袋叩きにした。
その後、少年院に移送されれば、そこでも彼らは毎日袋叩きにされた。

そんな危険過ぎる日常に、10代のヤンキーは戦意を喪失し、疲れ果てていた。
そんなヤクザから足を洗う為に、指を詰められた者もいた。

ヤンキーになってもロクな事はない、という結論が後輩たちにも波及し、ヤンキーは激減しだした。

■バイク

ヤンキー激減の背景には、バイク文化の多様化も一つとして考えられる。
16歳から17歳の彼らにとって、バイクは憧れのオモチャであったが、当時人気のバイクは「Kawasaki FX400」や「YAMAHA RZ」等といった、暴走族へ直結するようなバイクであり、堂々とバイクに乗る為には、暴走族に入ることを余儀なくされた。
ところが、漫画「バリバリ伝説」人気の影響もあり、皮ツナギを着て峠を攻めるという、暴走族とは程遠いライダーズスタイルが新たなステイタスとなった。
バイクメーカーは挙って、レーシーなフルカウル仕様のバイクを生産し始めた。
10代のライダーは暴走族に入らなくても、堂々とバイクに乗れるようになった。

■ファッション

ヤンキーが激減し、高校生の間でも「POPEYE」や「Hot-Dog PRESS」といった雑誌が、10代のバイブルとなり、DCブランド崇拝が起こり始めた。
先輩たちの後ろ盾を失い、ヤンキー自体の数も激減し、校内暴力は沈静化へと向かうのだが、教育者達はここぞとばかりに、再び生徒たちを暴力的に管理するようになった。
その結果、教師による生徒への暴力事件が激増した。
(結局、教育機関が当時の10代の本質を捉える事は無かった)

*****************************************************************************************

【4】1985年

*****************************************************************************************

■ファッション

1985年、DCブランドの一大ブームが沸き起こる。
「青山ベルコモンズ」「ラフォーレ原宿」等のファッションビルに多くの男達が詰めかけた。
「男達がオシャレになった!」といわれ、新宿には「OIOI(マルイ)メンズ館」まで登場した。
バーゲン時には長蛇の行列に押しつぶされて、死者まで出るほどだった。
そしてこの一大ブームは、ヤンキーを完全に時代遅れに追い込むには充分だった。

高い服を着て高級外車に乗ることがステイタスとなり、その為には高学歴が必須である、との見方に10代の考えはシフトされた。
(そして翌年、バブル景気をむかえる)

1985年、深刻な社会問題である校内暴力は、沈静化された、と発表された。

untitled #252

 

172639.jpg
 

17:26:39
 

172941.jpg
 

17:29:41
 

173444.jpg
 

17:34:44
 

27 Apryl/2010

————————————————————————————