0007-1

P1020956.jpg



Acrylic on Canvas 91.0cmx72.7cm





Unfinished




(C)2006 Hikaru

校内暴力

連日報道される文部科学省報告による「小学校内暴力」。

原因は様々なことが考えられるだろう。
相変わらず報道の中で言われ続けるのは「家庭環境の問題」である。

ところで、教師による不祥事の数はどうなっているのだろうか。
平成14年度には、148人もの教師が不祥事により懲戒処分を受けていた。
その数は減っているのだろうか。それとも増えているのだろうか。
今月14日には栃木県で小学2年生を受け持っていた教諭(33)が、10人もの女児童に、お尻を触るなどの猥せつ行為を行い、懲戒免職になっている。
そういった教師の不祥事が報道される件数が増えている気がするのは、気のせいだろうか。
実際には立件されていない潜在的な不祥事数を考慮すると、未だにそういった問題教師が多いのも事実ではないだろうか。

小学校内での校内暴力の大半は「児童どうしによる喧嘩である」と報告されている。ただし、増加率が著しく高いのが、教師に対する暴力である。
これは連日報道される教師の不祥事に対する、子供達による反発現象であるとも考えられないだろうか。

もちろん家庭環境において偏った育て方をされた結果による、子供のストレス、反社会的人格形成にも問題はある。
(80年代に校内暴力をおこなっていた世代がいま、親となっている)

その他にも細かい原因を挙げるとキリがない。
それらを徹底的に割り出して解決策を考える必要もあるだろうが、連日「小学校内暴力」が報道されているなか、解決策に話が進むと、まともな意見がほとんど出てこないのが現状だ。
なかには、「昔の先生は怖かった。威厳があった」などとワケの分からないことを言うコメンテーターも必ずいる。

先生が怖い存在になれば問題は解決するのだろうか。
威厳のある先生が良い先生なのだろうか。

まったく馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。

確かに「全ての教師が優れた教育技術を持っていなければならない」というのは理想論に過ぎないかも知れない。
教育現場という特殊な環境が、実社会とのあいだにギャップを作り、教師という人間をグロテスクな存在にしている、ということは考えられないだろうか。

現状がどうであれ、学校において最重要なのは授業である。
その授業が正常に行われる為に、まず最初にやるべきことは、しっかりとしたルールを設定することではないだろうか。
総括的なルールが曖昧で、内容が隙だらけだから、正常に授業が行われない。
ルールを個々の教師に任せているから、教師による技量格差が浮き彫りになり、児童と教師との間に対立関係が生じる。
そう、この対立関係を生まないための総括的な方法を早急に考えることが最重要だ。
それほど難しい問題であるとは思えない
それが難しい問題であるとすれば、「問題を難しくしている」のが原因なのだ。

児童、親、教師というそれぞれの立場から中立的な「スクールカウンセラー」の存在も重要である。
管理教育などで子供を抑圧するようなことを考えるのではなく、むしろカンセリングによって子供の抱えるさまざまな問題を解放して消滅させることの方がよほど大事なのではないだろうか。

犯罪が横行するような小学校は、当然警察(子供の扱いに正しい認識を持った警察官による)との連携も必要である。
犯罪を犯したらペナルティを受けるのが社会のルールであり、それを教えるのも教育である。

飛躍した意見になるが、80年代の校内暴力は、中学校が最も凶悪な現場であった。
しかし、当時校内暴力を行っていた中学生は、中学生になってはじめて突然校内暴力を起こしたわけではない。
彼らはすでに小学校でも校内暴力を起こしていた。
(当時の小学生も水風船などに牛乳を入れたりして教師に投げつけたり、嫌いな教師の授業をボイコットするためにクラスメート全員で教室を抜け出したりしていた)
それは中学校での校内暴力へと発展する前兆でもあった。
ということは当然、今後中学校での凶悪な校内暴力が増加する可能性もあるだろう。

それらの事件は中途半端にマスコミによって取り上げられ、必要以上に生徒達の感情を煽り、再び暴力がトレンドとなり、ますます全国へ飛び火していく、という事態も考えられる。
その際、無理に管理教育で押さえつけようとすれば、再び活性化して全面に出てくるのは、何よりも暴力団ではないだろうか。

そんな一時的なトレンドの犠牲となって、大多数の子供達の中に反社会的な人格が生まれ、彼らの人生に決定的な悪影響を及ぼすのである。

少々飛躍した意見ではあったが、過去の教訓が生かされなければ、時代はまた逆戻りするのである。
9.11直後のアメリカがそうであったように…