2019-12-10

3日前にも変な夢を見た。

自分はたぶん小学6年生くらいの子供だと思う。

見慣れた近所の近道を歩いていた。(当時の風景に近い)

近道といっても手付かずの広い空き地にできた獣道のような道を突っ切って歩いているわけではなく、住宅地の狭い路地をジグザグに歩いている。

おそらく学校帰りだと思うのだが、いつもなら広い通りを大回りで走るバスに乗って帰るのだが、その時はなぜか一人で歩いていた。

路地を曲がったところで現実にはない開けた土地が現れ、前方100mくらいのところにロケットの発射台とロケットが現れた。

(まるで小学生が見るような夢だ)

すでに発射の秒読みアナウンスが始まっていた。

眼前にそびえたつ巨大なロケットは圧倒的な存在感があり、自分の頭上にあるかのような錯覚を覚えるほどのロケットの先端を見上げていた。

3、2、1…とカウントダウンが聞こえ、壁の裏側へと逃げた。

ロケットが発射され、強烈な熱風が通り過ぎ、発射台の上部が崩れ落ちてきた。

その辺りで目が覚めた。

夢を見ている間は感じ方が大きくなるとか感受性が強くなるなどといわれるが、夢には独特な手触りのようなものがある。

脳内で生み出される映像なので常に曖昧で掴み所がないのだが、夢の中だけで繰り返し現れる景色や場所もあり、脳が勝手に偽りの記憶として作り出したものとは別の、過去の記憶として認識もされる。

明晰夢の時に意識してディテールを確認することもあるが、別な方向を見て再度ふり返った時にはもうすでに違うもの(風景)と置き換わっていたりもする。

 

今日、10年以上前に描いてまだ作品化していないスケッチをもとに絵画を作り始めた。

イメージがどこまでも過去に見た夢の断片に近づき、作品の一部として視覚化できればと思う。

 

unfinished

(キャンバス 38cm×45.5cm 未完成)

 

 

 

 

 

 

2019-11-23

6年前に個人的研究目的で描いた「ルパン三世(アニメ1stTVシリーズ)」の峰不二子(第5話「十三代五ヱ門登場」より)を見ているうちに気になる箇所が出てきて修正した。

修正前

 

修正後(キャンバス/アクリル 27cm×35cm)

 

CARAVAGGIO

Michelangelo Merisi da Caravaggio



Young Sick Bacchus

1593 oil on canvas 67 cm × 53 cm (26 in × 21 in)

Galleria Borghese, Rome

 

 

Mary Magdalen in Ecstacy

1606 oil on canvas 103.5 cm × 91.5 cm (40.75 in × 36 in)

Private Collection

 

 

『法悦のマクダラのマリア』

2014年に偶然発見されて以来、多くの専門家たちの間でも今だにその真性が疑われている。

少なくともこの作品には8点の違う画家によるコピー作品が存在する。

世界的なカラヴァッジョ研究の学者であるグレゴリによると、本作には随所にカラバッジョの特徴が見られ、1年間に渡る検証の結果、17世紀にまでしか使用されていないワックスが検出され、キャンバスの裏に添えられていたメモなどの客観的証拠から、75%カラヴァッジョの真筆であると結論づけられた。

それまでのコピー作品によって存在が指摘されていたオリジナルが、本作であると。

それは西洋絵画史において、稀に見る極めて重要な発見であると。

最近パリのジャクマートアンドレ美術館では、それまでオリジナルとされていた作品「クライン・マグダレナ」と2014年に発見された本作『法悦のマクダラのマリア』を同時に並べて展示し、鑑賞者に比較させるという面白い試みも行われた。

どちらがオリジナルなのか、あるいはどちらもコピーなのか。

 

『法悦のマクダラのマリア』はローマで殺人を犯し、事実上の死刑判決を受け、逃亡生活を始めた頃の1606年に描かれた作品とのことだが、画家が1610年に亡くなるまで手元に置かれた3点のうちの1点である。

2014年に突如として出現し、世界を騒つかせたこの絵は、どのような意図で描かれたのだろうか。

幸運にも、所有者のご厚意や関係者たちの努力によって、現在日本国内で本作を鑑賞することが出来る。

 

追記(9月4日)

現在、北海道立近代美術館で開催されているカラヴァッジョ展だが、到着が遅れている目玉作品『女占い師』(カピトリーノ美術館所蔵)を含む8点について、9月4日現時点で到着の目処が立っていないと公式SNS上で発表された。

主催者側は引き続きイタリアの関係先から作品を揃えられるよう働きかけるとのことだが、本物の作品を目にする機会の少ない道民にとっては関係者の努力に対する期待は大きいだろう。

 

 

老害という風評

先日、モーニングショーやゴゴスマでも取り上げていました”正論ジイサン”の件。

三重県の商店街で歩道上に置かれた看板などに毎日クレームをつけて

歩く89歳の男性の件です。

番組を見なかった人には何の事だかさっぱり分からないでしょうが、事の経緯については、ここでは省略します。

見ていた人のあいだでも意見が分かれたと思います。

いや、お爺さんの行為に対して批判的な意見の方が多いのかな。

”老害”という文字がSNS上を飛び交ったことでしょう。

見ていた私も「ありゃ爺さん流石にやりすぎだろ」と思いました。

でもお爺さんがあそこまでするには、何かキッカケがあったのかも知れません。

ちょっとしたキッカケが…。

まぁ完全に私の憶測というか妄想というか…ですが。

ひょっとしたらお爺さんが商店街の中のどこかのお店で、何かバカにされるような態度を取られたのかも知れません。

「年寄りをバカにしやがって!」

みたいな事が。

「そっちがそうなら、こっちにも考えがある!」

みたいな…。

実際、クレーマーってちょっとした事がキッカケだったりもします。

結局、なんていうか、”思いやり”なんでしょうね。

お爺さんの「年寄りに優しい商店街」という言葉から、その事がヒシヒシと伝わってきます。

相手が”ジジイやババアだから”といって少しテキトーに振る舞うとか、ぞんざいな扱いをすると、それはしっかりとお年寄りにも伝わります。

そうしてお年寄りはどんどん社会の中で弱い存在になっていく。

「私は年寄りだから…」とか「若い人にはついていけないから…」って言葉をよく聞きます。

でもお年寄りが夜寝てる時に見る夢って、自分が若い頃の夢だったりもします。

夢の中では若者なんです。

”歩道クリーンアップキャンペーン”のお爺さんの中にもそうした葛藤があるのかも知れません。

ありきたりな言い方ですが、今の若者もいずれは歳をとって、社会からの見られ方が変わっていく。

その時に、どういう自分でいられるのか。

世の中いろんな人がいます。(そんな言い方をするとバカにしているように聞こえますが)

人それぞれが思いやりを持つ事ができれば、いろんな人が居ていいんです。